下剋上

セールス

下剋上の人生だから、愉しい。

上手くいかない人生でも諦めるな

必死に泳いでも、進まない。

全身に乳酸が溜まって、どんどん身体が鈍くなる。

そんな感覚を、経験を、数えきれないほどしてきた。

人は、それぞれ異なる人生を歩んでいる。

「こんなに酷い人生を歩んでいるのは、自分だけ?」と思うこともあるだろう。「何でこんなにも毎回上手くいかないのだろう」と落ち込むこともあるだろう。

大丈夫。同じく私も数々の失敗と避けられない不可抗力に苛まれてきた。

冒頭でも言ったとおり、”必死に泳いでも泳いでも進まない状態”をたくさん経験してきた。

「どうしてここまでプライベートも仕事も上手くいかないのだろう?」と悩んだ。

しかし、現在の私は5年連続4憶円以上の売り上げを継続する、高級住宅営業のトップセールスマンである。最年少で会社役員に抜擢され、令和に入っても、記録更新中。プライベートでは愛する妻と息子に囲まれて笑顔で毎日過ごしている。

人生が好転し始めたキッカケは、逃げ出した回数より、困難に立ち向かった回数の方が1つだけ多かったことだった。もちろん、全てに立ち向かったわけではなく、一目散に逃げ出したこともあった。

それでも諦めずに、立ち向かい続けたから”今”があると思っている。

あなたも逃げて大丈夫。ただ1回だけ、1回だけでいい。逃げる回数より挑戦する回数を多くするだけ。

たったこれだけで人生は好転していく。

なぜ現役営業マンが惜しみなくノウハウを公開しているのか?

どうしてセールスブログを始めたのか

今現在、私の半生の経験を元に「売れる営業術」と「稼げる文章術」をTwitterとブログで発信している。

ここでよく聞かれる質問がある。

「なぜ売れる営業術を現役営業マンが公開しているのですか?」

それは実際に営業をしていて下記のことを強く思っていたから。

  • 昔売れた営業マンの話は役に立たなかった
  • 再現性のある営業をしている人が少ない
  • 再現性の高い営業を”言語化”できる人がいない

ということは、世の中の多くの営業マンは「再現性のある営業を知らずに一生を終えていくのでは?」と思い、私が立ち上がった。そして、ちょうどタイミングが良いことに部下から「売れるスキルを言語化して欲しい!」との声があった。

私も言語化するなら「社内だけで共有するのは勿体ない!」と思い、悩める営業マンにも公開しようと踏み切ったのだ。

私の売れる営業術には再現性があると確信している。私が掲げるセールス理論に触れれば、商品説明を長々する前にお客様が「あなたから商品を買いたい!」と一瞬で決断する営業力が学べる。

そして、この営業力を文章に活かすだけで、”文章で見込み客を獲得し、笑顔で契約を結べる”ことをお約束しよう。

ただその前に私の壮絶な生い立ちやどのような半生を送ってきたのかを知ってほしい。ここでページを閉じてしまわずに、ぜひこのまま続きをみてもらいたい。

この私の半生をみて「明日からがんばろう!」と思っていただけたらうれしい。

人生の始まり:母の自殺未遂から学んだ言葉の大切さ

母の自殺未遂から始まる人生

4歳の頃、母は私と自殺しようとした

原因は、父親の暴力・酒・金・女が原因。すぐに離婚したのですが、親族ですらバツが何個付いているのか分からないほど、女癖も悪かったらしい。そして、離婚した原因は4歳の私に向かってフライパンを投げて私の鼻が折れたことがキッカケらしい。

”たった3文”だけで、私の父親らしき人の印象は分かって頂けたと思う。

そんな父親の横暴な行いのおかげで、母は私と一緒に自殺を図る。

母が大量の薬を口に入れて飲む際に、4歳の私はこんなことを言ったらしい。

「大丈夫、ずっと一緒だからね」と。

その言葉で母は我に返り、自殺することやめて、「頑張ってこの子と一緒に生きていこう!」と誓ったとのこと。私自身、当時の記憶は覚えていないですが、良いことを言ったと思う。

母が亡くなる前に教えてくれたこの話を聞けて、心底良かったと思っている。

母が薬を大量に飲まずに済んだのも心底良かったのですが、何より『言葉の大切さ』を理解できたからです。

大人になって「言葉には、途轍もない力が秘められているのだな」と、学ぶことができた。このことがキッカケでライターという道を歩むことになる。まだまだ先の話になるのだが…。

母の突然の余命宣告!41歳の母が他界~時間は有限であることを学んだ

19歳になったばかりの4月。

あと1年で、20歳だ。

ようやく母に、「成人した息子の姿を見せることが出来る」と思った。

が、私の人生はいつも急に何かが降ってくる。

母が「背中が痛いな」と訴えていたので病院に行ったら、膵臓がんと子宮がんと診断された。

母は、余命1年を宣告された。

私は突然の母の余命宣告を聞いても全くピンッとこなかった。

ピンッとこないまま月日は過ぎ、病院でガリガリになった母の体を見ても、まだ現実ではないような気がして、呑気に過ごしていた。

今でも本当に後悔している。

「あの時、あの返事をしておけば良かったな」

「母の話を聞くのが辛かったせいか、母が話すのを遮ってまで、私がマシンガントークをしてしまったな」

「何でもっと病院に通って、話を聞いてあげれなかったのか」

と、今でも思い出すとじんわり涙がこみ上げてくる。

精神的に大人になった今「あの時に戻って親孝行をしたい!」と心の底から思う。

そして母を心の底から褒めてあげたい。

あの弱い母が黒い液体を吐きながら、元気に振舞っていた母。

そして、自殺を図った母が最期まで弱音を吐かず、人生を全うした母

母は、42歳で短い人生に幕を下ろした。

この経験を経て、痛すぎるほどの『時間の大切さ』を学ぶことが出来た。

80歳まで勝手に生きると思っていた私が、”初めて死を身近に感じた瞬間”だった。

いつ人生に幕を閉じるかが分からないことを学んだ。時間は有限であることを知った日。

そして、「今」を全力で生きることを決意した日だった。

安定を求めた経理職志望から、まさかの営業職へ

どうして経理職から営業職に?

私は安定した職業を求め、経理の資格を取得出来る専門学校に入学。

専門学校で経理の資格を取得し、大手企業に就職が決まりかけていた。

だが人生を変える出来事が起こった。

その専門学校は少し変わっていた。

大学でいう卒論の代わりに「大手企業の社員達を招いて、企業の売上を挙げる為のプレゼンを発表する」という行事があった。

1チーム5人編成で、プレゼンターは1人で、プレゼン時間は15分間。私のチームはパソコンには強いが、人前で話すのは苦手なチーム。

話すのは不得意ではなかった私がプレゼンターに選ばれた。

プレゼン発表の当日。

100名前後の大手企業の社員と生徒の前で、発表を始めた。

私が話し始めると会場に笑いが起きた。

「あぁ…またか」

やがて発表を聞いている社員達が静まり返った。

「また変なこと言ったかな?」

プレゼン中は「とにかく早く終わってくれ!」ということしか考えていなかった。

そして、プレゼン発表を終えた。

話終えた瞬間、大きな拍手に包まれ大喝采を浴びた。

今でも、目を閉じると思い出せるほどの高揚感だった。

結果は優勝。

優勝者だけが行ける全国大会への出場が決まった。全国大会でも、プレゼン賞を受賞することができた。

その行事が終わった直後に、先生から「経理職ではなく、営業職が向いていると思うよ?」と言われた。

尊敬していた先生だった為、素直に取得した全ての資格を置いて営業職で内定を掴んだ。

この時に「自分が向いているものと、自分がやりたいことは違う!」という事を学ぶことができた。

「自らの小さな才能は自分では発見しずらく、他人に発見されて気付くものもあるのだな!」と理解した。

この経験は、人生を大きく変える出来事となった。

行動して人前に出ることで、自分の”才能の断片”が分かるということです。それを見つけてくれる人がいれば「自分の才能」を活かせる場所が分かるということを学んだ。

大間違い!営業がデキると思って入社した大手営業会社でボロボロに

調子に乗った新人時代、地獄を見る

100億円の売上がある不動産会社の賃貸営業に就職。人生初めての「仕事をする」という体験。ワクワクして出社したのですが、初めて与えられた机は「小学生用の机」でした。

決して、社会人が使うデスクと呼べる代物ではなかった。

感の鋭い方ならわかると思いますが、待ち受けていたのは子供みたいなイジメ。でした。

小学生のような机でパソコンすら支給されず、雑務の日々。

札幌市全域の30件以上の鍵返却を毎朝命じられる。

命じられるといっても、私の机に黙って他の社員がボンッとおくだけ笑

あちこちに鍵の返却をするので1回返すのに4時間かかる。

つまり、お客様と接する機会も与えられず、パソコンもない状態が続いたということです。

コソ泥のように先輩の席が空くのを見計らって、パソコンをいじる日々。エリアマネージャーが来る時だけ、堂々と接客をさせてもらえる。

普段は何も教えてくれないのに、偉い人が来た時はみなさん丁寧に教えてくる。

まぁ、イジメだからそういうものだろう。

強いモノが来た時だけ、仲良く見せる姑息な技(大人は真似してはいけない)。

堂々と接客させてもらっても、何も教えてもらっていない私はもちろんミスを連発。

エリアマネージャーからは「今まで会ってきた新人の中で一番不出来だ!」と直接言われ、素晴らしいあだ名がついた。

「木っ端」だ。

センスがある。木っ端とは、名の如く「価値のないもの」という意味である。

悔しすぎて、店舗で涙を流してしまった。

その時に「こんなクソ会社はもう辞めよう。ただどうせ辞めるなら、言いたいことを言って、やりたいことをやってから辞めよう」と、腹を括ることが出来た。

この瞬間、石の上にも三年という誤った固定概念が消えた瞬間だった。

入社したからには最低3年間働かなければいけないという常識がなくなった途端、肩の荷がおりた。

この経験のおかげで、生真面目な私は「一般常識に囚われ過ぎてはいけない」という事を学んだ。

成績が挙がったキッカケは”辞める覚悟”だった

辞めると腹を括ってからは、成果が出るのは早かった。

上司に遠慮などせず、与えられないパソコン環境でも集客を果敢に取ることに決めた。

パソコンに届いているお客様のメール反響を全て取るつもりで、朝一番に出社し、「この物件見たいです」というお客様の反響メールに全て対応した。

次第に忙しくなり、確実に私より忙しくない先輩をみて思わず言ってしまった。

「パソコンで車の部品を見ているなら、席譲ってください」

思いっきり胸ぐらを掴まれて、殴り合いの喧嘩になりそうな場面で店長が割って入った。

私はただ仕事をしたかっただけ。

ただ純粋に仕事をしたかっただけなの。

「なぜ皆本気で仕事に向き合っていないのか」と、空回る気持ちをよそに他の社員達はバカ笑いしながら仕事をしていた。

それからも怒鳴られようが、胸ぐら掴まれようが、朝一番に出社し淡々とメール反響を全て横取りしていた。

少しずつ辞めるつもりの男の意地が実りつつあった。徐々に成績も数字として表れてきて光が見えたかに思えた。

だが負けじと対抗してくる5歳上の先輩がいた。

私より早く出社し、集客が私に集中しないように根回しを完了させて横の連携までとってきた。

私の成績は簡単に伸びなくなってしまった。

あっという間に潰された。

この経験から、横の汚い連携を取られたら「正攻法では勝てないのだな」と学ぶことが出来た。

ついに辞める覚悟が決まった!一世一代の最後の秘策をぶつける

コネも力もない私は見事に潰されて、雑務を押し付けられる時代に戻ってしまった。

「もう来月の7月末を以てこのクソ会社を辞めよう」と覚悟が決まった。

「どうせ辞めるなら最後に生意気なことを言って辞めてやろう」と思い、店長に相談した。

「1か月だけ私に集客を回してください。店でトップを取ってみせます。もし、取れなかった場合は一生雑務で良いです!お願いします!」と、頼み込んだ。

(どうせ来月辞めるのだから、トップを取れなくても一生雑務などすることもない)と思いながら意思をぶつけた。

「またヤキが入るかも」と思ったが、あっさり2つ返事で承諾を得ることが出来た。

そこから私の怒涛の30連勤が始まった。

私にはコネも力もない。

私が持っている武器は、唯一「圧倒的な時間の投入」だけだ。

持っている武器は周囲を見渡しても時間だけしかなかった。

当たり前だが、知識も経験もない23歳の若造に何が出来るというのか。

知識も経験もない人が抜きん出る為には、”時間”という資源の圧倒的投入。

これしかないと思った。

のちに時間は「武器のない凡人の最強の武器」になることを学んだ。

店舗で1位を獲得!勝因は30連勤というブラック中のブラックな手法

30連勤という凄まじい時間の投入のおかげで、店舗一位を獲得することが出来た。

「やっぱり元々才能があったんじゃん!」

ここであなたは思うかも知れない。

そうではないことを伝えておく。その証拠として、ダントツに空気が読めなかった事例をご紹介する笑

・2人組の女性のお客様を接客した際に「お母さまはこの物件どう思いますか?」と尋ねた結果、友達同士だった(最低過ぎる発言で傷つけてしまった)

・お客様に見せる物件の近くに車が止められず、空いていた場所に止めた結果、暴力団の事務所で冷蔵庫みたいなガタイの人に囲まれた(オシッコを少しだけチビってしまった)

・風俗にお勤めの方に「どういう理由で働いているのですか?」と尋ねてしまった(人には色々と事情がある)

書いていて情けなくなる。まぁ、この3つだけでも「空気が読めない」ということはわかっていただけたでしょう。才能なんて一つもなかったのよ。

それでも毎朝一番に出社し、他の社員が休んでいる時は「チャンス!」と思い続けて出勤し続けた。

途中からランナーズハイでもないが、昼を取るのも時間の無駄と思い割愛。

ここまでしてトップを取れないなら「営業職自体を辞めよう」と思いながら働いた。

とにかく働いた。

風邪を引いても出勤し続けた。

その結果、ギリギリで取れた店舗一位。

正直、嬉しかった。

ただ店舗一位を取ったことより嬉しかったことがある。

店舗にいる上司や先輩達の態度が、180度変わったことだった。

その時は忙しくて気付かなかったが”先輩達が次第に協力的”になっていたのだ。

木っ端や汗っかきマン、ポンコツ君というあだ名から卒業した瞬間だった。

本気で仕事をする姿に共感して頂けたのだと思う。

「木っ端・汗っかきマン・ポンコツ君」

そう言われていた私だが気付けば「アベ、あの件大丈夫か?」と、しっかり名前を呼んでくれていることにも気付いた。

気付いた時、嬉しくて泣けてしまった。

仕事に対する姿勢が周囲に伝播していったのだ。

あとから知ったのですが、北海道一番の繁華街の店舗ということもあり、お客様も社員もくせ者ばかりだった。くせ者達に認めてもらうには、生半可ではないことを知った。

この経験のおかげで知識も経験もない人間が周囲から認められたり、協力してもらうには「仕事への覚悟が大切」だと改めて痛感した。

新人王に!気付けば新人の中でもダントツトップになっていた

一度信頼を店舗で勝ち取った私は、成績を上げ続けた。

気が付くと新人社員の中でダントツトップに輝いていた。

元々長い鼻が、グングンと伸びていった。

その頃にはおかげ様で3社から引き抜きの話が出ていた。

そのうちの1社が高級戸建住宅の営業としての引き抜きの話だった。

取り扱う金額が人生で最も高い住宅営業の仕事。

「営業の最高峰だ!」と確信し、転職を決めた。

賃貸営業でトップを取ったこともあり「あっという間にまたトップになってやる!」と息巻いていた。

だが、あっという間に長い鼻がポッキリ折られることを経験する。

そんなに人生はうまくいかない。

壮絶なイジメ!前職が天国に思えるような地獄を送ることになる

前職とは比にならない圧倒的なイジメ

転職後、期待と気合に満ちていた私に待っていたのは「壮絶なイジメ」だった。

前職をイジメと記載したことを謝るくらいの過酷なイジメ。レベチ過ぎて今でも震える。

次は直近の上司のイジメではなく、グループ会社のNo2の専務からのイジメ。

この一年間は33年間生きた中で、一番辛かった。

その方は”ゴマすり”でのし上がった人だったので、営業力に関しても目を見張るものがなかった。

周囲も分かっていたからこそ、本人も営業力に強烈なコンプレックスがあったのでしょう。

若くて、成績が伸びそうな人には、とても執拗に嫌がらせをしていた。

なぜなら当時、若い営業マンは私以外は全員辞めてしまったのだから。

本当はここで受けた壮絶なイジメの一部始終を記載したいのだが、読んでいる方の気分が悪くなると思いバッサリとCUTすることにした。

いや、少しだけ公開しよう笑

  • 10時間立ちっぱなしの刑
  • 3時間正座の刑(おもらしを経験)
  • 自宅の自家用車のタイヤ交換や雑務
  • 上司より退勤時間が早い日は自宅のインターホンが鳴る
  • 盲腸で緊急手術しないといけない状態にも関わらず、「出社しなさい」という指示
  • 盲腸の手術の次の日に「出社できる?」というメール(お腹に管が入った状態)

ここまでにしておく。これのザッと10倍以上はある。

その地獄のような毎日を過ごし、半年を過ぎようとした辺りで「辞めよう!」と決意した。ただ、会社のNO3の常務取締役が私の辞める気配を察知し、あるアドバイスをしてくれた。

「専務をお客様と思ってごらん。発言する癖・怒るポイント・喜ぶポイント、しっかり観察した上で対応してごらん。そうすれば、接客するお客様は神様だと感じることが出来るし、君の器も大きくなるはずだよ」

その後、こう続いた。

「辞めるのは簡単だよ、どうせ辞めるのなら実績を出してから辞めなさい」

…!?

(この環境で?)と思った笑

今の時代であれば、ニュース報道で取り上げられるほどの嫌がらせだったが、一番信頼している人の言葉だった為、「もう少し頑張ろう!」と覚悟を決めた。

なぜなら、そのNO3の常務取締役は、前職含め通算20年間No1のトップ中のトップ営業マンだったから。

今でこそ「踏ん張って良かったな!」と思える。

私は売上を挙げるデキる上司は沢山見てきたが、デキた上司は初めてだった。

私は「この人に認めてもらうまで頑張ろう!」と決めた。

”ある方法”で住宅営業でもトップを飾ることができた

イジメは抜きにして、高級住宅を売ることに関しては苦労した。3ヵ月連続休みを返上するブラックな就業形態を自ら望んで取り組んだ。

だが、私の得意技の”圧倒的な時間の投入”だけでは成績が伸びずに悩んでいた。

そこで常務取締役の「発言する癖・怒るポイント・喜ぶポイント、しっかり観察してごらん」という言葉を思い出し、時間の投入先を仕事の業務ではなく、営業の勉強に費やすことに決めた。

そもそも営業の勉強などしたことが無かったし、多くの人は「感覚で営業」をしていたから、営業の質問をしてもピンとこなかった。

そこで、営業で活躍している全国の人に目を向けた。

もちろん全国には行けないので、本を出版している人に絞り、書店に足を運んで探すことに決めた。

元々読書の習慣があったため、自己啓発本や心理学・営業の本を読み漁ることにしたのだ。営業と心理学の本の1日2冊の本を読むことに決めた上で、読んだ内容を仕事で実践し続けた。

実践の中でのポイントは、読んだ1冊の本から「必ず1つ以上は仕事で実践してみよう!」と決めていた。

なぜならば、半年もすれば360回新しいことを試すことができるから。半年も経てば「1回り成長出来る!」とウキウキして取り組んでいた。

意識したのは、たった3つだけ。

  • インプットした直後にアウトプットすること
  • アウトプットして自分に合わなかったら即その手法を捨てる
  • とにかくPDCAサイクルを繰り返すこと

※とにかくインプットだけで終わらせないこと。

「1回り成長出来る!」という予想は当たり、メキメキ成長していくのが自分でも分かるほどだった。

人間は成長を実感すると、より成長を求める習性があることを学んだ。

本だけでは飽き足りず、あらゆる隙間時間を利用した。

  • 営業や自己啓発のDVDを買ってみる
  • 実際に話を聞けるセミナーまで参加
  • 通勤時間はオーディオで営業のノウハウを聞く
  • トイレに入るときは電子書籍をiPhoneで読む

このように、あらゆる隙間時間を営業の勉強に費やした。

これで営業のトップを取ることが出来なければ「一点の曇りもなく営業を辞めることが出来る!」というくらいまでやり切った。

その結果、1年かからずトップを取ることが出来た。

本だけで、年間100万円以上の自己投資をし、DVDや講演などを含めるとその倍以上。

仕事も勉強量も1年の間にできるだけ圧縮した。

行動してみて分かったが、実践も大切だが頭脳への投資が最も大切だと身に染みた。

株やFXも素晴らしいと思うが、最大の投資は脳みそへの自己投資ではないかと思う。

脳みそへの自己投資は「誰にも奪われることがない貴重な財産になる」ことを学んだ。

パワハラな上司を跳ね除け、凡人だった私が60ヵ月グループNo1に輝いている。

その理由は”今でも”自己投資を続けているからだ。

人生は死ぬまで勉強だと思っている。

最後に|私が苦労して学んだセールスノウハウを盗んで欲しい

このブログで得られるものとは?

5年連続トップを走り続けて分かった事実がある。

営業には「再現性がある!」ということ。

一時期、売れて終わりではなく、売れ続けなければ意味がない。

再現性なくして、営業は語れないと思っている。

これだけ時代の流れがはやいなかで「昔はこんな風にすると売れたんだよ!」と、昔の手法を声高らかに語っても仕方ない。

それよりは現役で売れ続けている人のノウハウを学ぶ方が成長は早い。

小手先のスキルを学ぶのも大切ですが、まずは営業の考え方を最初に学ぶべきだと思っている。

営業や対人接客で悩んでいるあなたに伝えたい。

私の営業人生を圧縮して、極上のエッセンスとしてあなたに届けたい。

あなたは大量の本を読む必要もないし、大量の時間をかけずに売れる方法を獲得できる。

難しい本を読む必要はない。

私のブログは、部下に対して書くように記事を書いています。わかりやすく丁寧に。

あなたがこのブログを通して力をつけて、目の前のお客様を笑顔にしてあげて欲しい。

年齢や学歴など関係なく、人生を大きく挽回出来るのもセールスの醍醐味。

あとはあなたが行動するか、しないかの「たった2択」だ。

営業を学ぶにしろ、営業力を文章に応用するにしろ、このブログを通して全力学んでほしいと思っている。

追伸…今、あなたがすべきことは?

世の中のすべての凡人はSNSを使いこなしなさい

多くの営業マンが超アナログの化石マンだからこそ、そこにメスを入れたい。

「会えば強い人」はこれからの時代の営業スタイルには合わない。

これだけインターネットが普及して使いこなさないのは非常に勿体ない。

「会えば売れるけど、会えなければ売れない営業スタイル」では生き抜けないと確信している。

だからこそ、『直接会えなくても売れる営業スタイル』を確立するべきである。

その為には何が必要なのだろうか?

「SNSの活用×ブログ」だ。

つまり、オンラインで文章を磨くということ。

TwitterやInstagram、FacebookやYouTubeなどで「あなたの個性」を発信する時代が到来している。

いや、「目の前に迫っている」ではなく、”既に到来している”のだ。

本当に焦った方がいい。頭のキレる人たちは既にSNSを使いこなしている。

ちなみに私もツイッターでは累計7万人以上のフォロワーさんがいる。ブログに限っては1ヵ月で平均5万回は見られている。

営業を学び、文章を学んだおかげでオフラインに限らず、オンラインでも実績を積むことができた。

そのおかげで、たとえ声が出なくても身体が動かなくても〝指〟さえ動けば家族を養えるほどのスキルを手に入れることができた。

そのスキルが「営業力×文章力=セールスライティング力」である。

WEB上を主戦場に戦っていくのなら、絶対にセールスライティング力を磨いてほしい。たとえ、今あなたがつらい状況に陥っていたとしても、別の生きる道が確保されていれば、メンタルは保たれるから。

このように伝えても「営業力はどうやって磨けばいいの?」や「稼ぐ文章術はどう学べばいいの?」という方は私に連絡がほしい。助ける。

・・・と、長くなってしまったが、あなたの人生が笑顔で溢れることを願っている。

そのために必要な助けがあればSOSのサインを出してほしい(メルマガやLINEで待っている)。

それでは、またブログやLINE、メルマガやTwitterなどで会いましょう。

追伸

少しでも私に興味を持っていただいた方は、こちらのプロフィール記事を読んでみてほしい。「マーケティングに特化したセールスライティング術(稼ぐ文章術)」について詳しく記載している。

特に副業挑戦者やフリーランスの方は一読して損はない。

「文章で人生が変わった漢の話」

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